日曜日はコネクティカット州で
イチゴ狩りに行ってきました。

P1090231_convert_20090630012855.jpg

広いイチゴ畑、甘いにおいがします。

P1090242_convert_20090630012919.jpg

ドイツに住んでいるカールの家族と
一緒にイチゴ狩りをしました。

カールさんは前に駐在先の事務所にいた方で
現在はドイツで暮らしています。

でも、コネクティカットに家があって
たまに帰ってくるようです。

ベリーピックアップ(berry pickup)や
PYO(pickup your own)などとといって
ストロベリーやブルーベリー、ラズベリーなど
農園でベリーがつく果物を取って
食べたり持って帰ったりすることができます。

ブルーベリーやラズベリーは
季節的にちょっと早かったですねぇ。
イチゴはちょうどいい季節でした。

カールには、僕と同い年のロシア人の美人の奥さんと、
カールそっくりの3歳の娘さんがいらっしゃいます。

うちの娘と息子もあわせて
みんなでせっせとイチゴを摘みました。

P1090296_convert_20090630013012.jpg

うちの家族の収穫です。
カール家族はこの箱いっぱいに取ってたのですが、
うちの家族は食べてばっかりで
ちょっとだけしか箱に入ってませんねっ。

カールのコネクティカットの家に戻り
カヤックを川に浮かべて漕いで見ました。

P1090255_convert_20090630012944.jpg

この川、冬に行ったときは凍って
向こう岸まで歩いていけるぐらいだったのに
今は深い水。不思議です。

カールが言うには、ずーっと川を下ると
川が細くなっていき、そこまで行くと
ビーバーのダムがあるそうです。

ビーバーのダムってはじめ聞いたとき
何のことかわかりませんでしたが、
動物のビーバーが木で作るダムのことですね。

そんなの見たことないや。
どんななんだろう。

興味はありましたが、娘を乗せての
初カヤックだったので川を下るのはやめました。

ロブスターにムール貝などのシーフードのランチを
ご馳走になりました。

奥さん、どうやってこんなに料理したのか
ロブスターに圧倒されます。

カールさん、この奥さんにメロメロなようです。
もう結婚されて10年ぐらいになるそうですが、
出会いは、奥さんがロシアからニューヨークに
旅行しているときに一目惚れして
数日後にはプロポーズ、2週間ぐらいで
モスクワの実家に行って挨拶して結婚したらしいです。

他の人に取られると思ったそうです。

きれいだけではなくて、ウチの奥さんのことを気遣ったり
心配りのできる日本人のようなロシア人です。

ランチの後、川原でまた水遊びをしました
水着に着替えて泳いでみました。

カールさんの娘さんは慣れているみたいで
ライフジャケットを着ながらも一人で泳いでます。

うちの子はスイミングは事実上初。

ビビりながら、父にしがみついて立ち泳ぎがやっとです。
顔は笑ってましたが、ほぼ溺れてましたね。

すると、カールの奥さんが
目が覚めるようなビキニに着替えて登場。

プラダのサングラスをかけたまま、
悠々と泳いでらっしゃいました。
ゴージャスな休日です。

途中、ウチの息子が川岸の階段で転倒、
あわや水没寸前というアクシデントもありましたが、
なんとか大丈夫だったようです。
水際は危ないので注意しないといけません。

川原においたリクライニングチェアーで
朝に摘んだイチゴにクリームにつけて
ケーキと一緒に食べました。コーヒーも美味しいです。

息子も、一通り泣いた後
イチゴを食べてました。びっくりしたねぇ。

帰りがけに、カールさんが
ここの鍵を僕に渡しました。

“また夏の間にでも好きなときに来てみて”

ドイツに戻るので当分使わないということです。

売りに出したり、賃貸にしたりといろいろ考えたようですが、
不況のため、満足のいく値段では売ったり、貸したりできないとのこと。

安い値段で貸して、ぐちゃぐちゃにされるより
空き家にして友人にたまに使ってもらった方がいいとのこと。

“ほんとにいいの?”

少し戸惑いましたが、
今度ビーバーのダムが見たくなりました。
鍵を受け取ってお別れをいいました。

ブルーベリーの季節にもう一度来たいですね。



鍵とは何か。探し続ける駐在員にあたたかい応援をっ。



人気ブログランキングへ
特許侵害訴訟が起きるとまず何をするか。

当然、原告が何を求めて裁判を起こしたのか
が記載された訴状を裁判所に提出するところから始まります。

訴訟の提起=訴状の提出ですね。

でも原告の訴状提出だけでは
訴訟の開始というには不十分で
被告に対する送達が必要になります。

被告に訴状が届かないと
被告が裁判を起こされたことが
分からないですもんね。

訴状はきちんと被告に送達されて
初めてスタートするもの。
被告に訴状が送られて初めて
原告が何を言いたいのかわかるわけです。

では、訴訟は提起したけど、
被告に訴状を送達(Service)していない
というケースはどうでしょう。

訴訟を提起しておいて訴状を送達していないなんて
一般の人から見たらへんな感じかもしれません。

やる気あるのか、という感じすらしますね。

しかし、これは交渉戦術の一環であることが多いです。

交渉が行き詰ってきたときに、
“もう訴状は裁判所に提起したぞ、
あとは送達するだけだ”、なんていうわけです。

つまり、銃をコメカミに突きつけて

“今ならまだ後戻りできるぞ、
おとなしく金を払えば、訴状は送達せずに見逃してやる。”

なんていうメッセージであることが多いのです。

ましてやMedlmmune判決以降、
特許権の保有者が警告レターを被疑侵害者に送った場合、
逆に被疑侵害者から、特許の有効性確認訴訟を
提起されるというリスクが出てきたことから
特許権者は警告レターを出さずに
いきなり訴訟をした方が自分に有利な裁判地を選べるわけです。

警告レターを日本企業に送っても
盆だの暮れだの言って
ズルズル引き伸ばされますから
いきなり提訴してびびらせようというわけです。

でも、訴訟は原告にとっても金のかかるもの。

成功報酬でやっている弁護士たちにとっても
被告から金を取るまでは自分たちで
訴訟費用をまかなわないといけないわけですから
実はなるべく早期に終わらせたい。

金のかかる証拠開示手続(ディスカバリ)が始まる前に
被告の何社かを落として訴訟資金を作りたいわけです。

一方、被告側も訴訟が本格的に始まると
金がかかってしょうがないので費用だけ見れば
送達までに解決できればベストかもしれません。

米国訴訟の場合、訴訟の提起(訴状の裁判所への提出日)から
最大120日が送達の期限の目安だと思います。

この120日の間に
原被告間でウラとオモテの生々しい
駆け引きがあったとしても不思議ではありません。

送達までにちゃっちゃと解決したい。

脅しだけの訴訟なら弁護士費用はなるべくかけず
パッパと落としどころを見つけたい、
と思う日本企業は多いと思います。

しかし、しかし、しかし。

特許侵害訴訟で訴訟の対象となっている
特許を検討せずして交渉はできません。

特許にうたわれている発明はいったいなんなのか。

どこまでが発明者の発明した発明なのか。
先行技術との差異は何か。
きちんと具体例で発明のうらづけがあるか。
出願人と特許庁とのやり取りはどうであったか。
被疑侵害製品はどんな態様か。
将来のマーケットに貢献できる発明なのか。

これらを検討してこそ
真の特許の価値がわかるというもの。

でもこんなことをまじめに一から十まで
米国の弁護士にお願いしていたら
いくらチャージされるかわかりませんね。

120日以内に解決できるかもしれないのに
どこまで費用をかけないといけないのか。

企業にとっては、悩ましい限りです。

仮に弁護士に、いっさい特許は検討するな
示談交渉だけしろ、なんていう指示を出したらどうでしょう。

これはこわいですね。
何に対して交渉しているのか基準がないですもんね。

交通事故の示談交渉でも
どの程度の事故なのか
どっちが悪いのか、どのあたりにグレーエリアがあるのか
をある程度見極めますよね。

それができてはじめて
双方見解に相違はあれども
歩み寄って建設的に解決、
というのを目指すのだと思います。

一般的なお話として
金融危機以降、企業の業績が悪くなり
弁護士費用をなるべくかけたくないというのが
本音だとおもいます。

されど、特許は明細書に始まり明細書に終わる
といいます。特許発明が書かれた明細書を
深く検討することなくして何が交渉でしょう。

“I can't help studying a patent”
ある米国弁護士が行っていました。

“I can't help falling in love with you”
っていうエルビス・プレスリーの歌を
昔、UB40がカバーしていました。

“can't help 〜ing形”で、
“〜せずにはいられない”っていう意味だと
高校のときに習いました。

だから、プレスリーの曲は
“好きにならずにはいられない”
って訳されているんですね。

じゃぁ、“I can't help studying a patent”は、
どういう意味でしょうか?

“特許を検討せずにはいられない”ってことですかねっ。

特許の裁判をお願いするなら、
クライアントが特許の検討は
ほどほどで結構と言っても、
こっそり通勤電車の中で
明細書を隅から隅まで読んでいるような
弁護士(もちろんその分はチャージなし)に
お願いするのがいいのかなと個人的には思います。

恋するように特許を読んでくれる
米国弁護士は頼りになります。

訴訟提起から送達までの120日間。
“特許を検討せずにはいられない。”



送達とは何か。探し続ける駐在員にあたたかい応援をっ。



人気ブログランキングへ
2009.06.26 I want you back!
会社帰り、近くの公園でコンサートがある
というので行ってみました。

P1090216_convert_20090626113625.jpg

木曜日夜8時の無料コンサートです。

P1090222_convert_20090626113701.jpg

みなさん公園にリラックスチェアーを
持ち込んで音楽鑑賞です。

P1090223_convert_20090626114528.jpg

オーケストラをバックにキレイな歌でした。

こんな平日なのに会社帰りに
素敵な音楽が聴けるなんて
なんだか文化を感じます。

木曜日って一番疲れが
溜まっている曜日ですからね。

しばし時を忘れます。

家に帰ると、マイケル・ジャクソン死去
のニュースがCNNで流れていました。

いろいろ議論はありますが、
一つの時代を作った方ですからね。

Jackson 5の頃が一番好きです。
“I want you back”なんてすごくいいですね。

歌がめちゃくちゃうまいですからね。
リズム間も抜群っ。

ご冥福をお祈りします。



音楽とは何か。探し続ける駐在員にあたたかい応援をっ。



人気ブログランキングへ
2009.06.23 全米デビュー
6月21日の父の日は、娘のバイオリンの発表会。
バイオリンをはじめて3ヶ月、初コンサートでした。

発表会は28日と、はじめ聞いていたんですが
参加できない人がいるので21日に変更されたとのこと。

先生は、以前お伝えいたしましたとおっしゃっるのですが
僕は寝耳に水。直前の20日に聞いてびっくりっ。

まぁ、父の日は予定がなかったので大丈夫でしたが。

当日の朝、いそいで奥さんが娘の頭をセットしにいきました。
黄色のドレスは前に買っていたのですが
頭はボサボサ。慌てて近所の美容院に駆け込んでいました。
娘は“病院”に連れて行かれると勘違いして、大慌て。

発表会が終わった後に簡単なレセプション(打ち上げ?)があるので
おやつを持ってきてください、と言われたので急いで用意することに。
もう少し早めに予定変更を聞いていたら
もう少し準備できていたのに!なんて、あとの祭りですっ。

駅の近くのDonkin Donuts(ミスタードーナッツのようなドーナツ屋さん)で
ざっと買って急いで会場に向かいました。

P1090118_convert_20090623120039.jpg

100年ぐらい前に建てられたという会場はすごく感じの良いお屋敷です。
歴史の重みを感じるようなたたずまい。

P1090196_convert_20090623120419.jpg

1階にSteinwayのグランドピアノがあって
観客用のイスが設営されています。

P1090126_convert_20090623120200.jpg

ウチの娘は、さっそくピアノの前で自主練を始めました。

普段家じゃ全然練習しないのに
ちょっと興奮してるんでしょうか?

ずーっとバイオリンを肩にかけたままその辺を移動しています。
よく音が響く部屋です。よく設計されたコンサートホールのような音響。

ほどなくして、他の生徒さんたちがきました。
タキシードを着てバイオリンの弓に松脂を塗る青年がいたり、
ドレスを着てチューニングをする高校生の女の子がいたり。

バイオリンの先生、ピアノの先生、チェロの先生は
三姉妹の日本人の先生です。本番前に生徒たちの楽器を調律します。

お兄ちゃん、お姉ちゃんの姿に圧倒されたのか
ウチの娘の顔が若干こわばってきました。

4歳の娘は今回のコンサートでは最年少だそうです。

普通ピアノやバイオリンの発表会というと一番小さい子からはじまって
だんだんお兄ちゃん、お姉ちゃんになって行き、最後に先生が弾いてしめる
というのが一般的だと思いますが、今回は趣向を変えて
先生からスタート、そしてだんだん小さい子になっていくという順番です。

なので、ウチの娘は最後。なんとトリです。

コンサートがスタートするや否や、
いきなり先生が超絶技巧のバイオリンで圧倒します。

うちの娘はいつになくおとなしく見ているけど大丈夫かな?
緊張しておかしくならないかな…?

先生の次に、タキシードの高校生。
そしてドレスのお姉ちゃん。だんだん中学生から小学生へと進んでいきます。

おおお、つ、次、お前の番だぞっ!

“うんっ”

そういうと娘は口を真一文字にステージへと向かいました。
お辞儀をしていざピアノの先生とデュエットです。

曲は、もちろん“キラキラ星”。モーツアルト作曲です!

始めにゆっくり弾いて
そのあと16分音符を使った忙しいバージョンのキラキラ星!
いつもこのあたりでぐちゃぐちゃになるところですが、
なんと本番ではノーミス!本番に強いのねっ。

ピアノの先生の伴奏の盛り上げがうまくて
演奏が終わった途端に歓声が起きましたっ!
拍手の中、一礼して初コンサート終了です。

よくやった、よくやった。

終わった後もまだ興奮冷めやらぬ様子で
顔がこわばったままでしたが
しばらくすると緊張が解け、ドーナッツをがっついていました。

お母さん方がもちよったジュースやケーキ
手作りクッキーなどを食べて生徒みんなで遊びます。

はしゃいでますね。今日は興奮して夜は寝ないでしょう。

バイオリン歴3ヶ月。
本番での演奏が一番よかったですっ!

“I am proud of you!”



発表会とは何か。探し続ける駐在員にあたたかい応援をっ。



人気ブログランキングへ
日曜日に同志社フォーラム in NYというのに行って来ました。

タイムズスクエア近くのホテルに同志社大の学長をはじめ
付属学校の関係者が日本人の帰国者向けの
学校説明会をされているのとことでした。

何を隠そう同志社は実は私の母校でして
ニューヨークに住む卒業生の方にも会えるかなと思い行って見ました。

たまたま5番街でプエルトリコ・デーというイベントがあり
プエルトリコ人たちが歩行者天国になっている5番街を
大音響の中、踊り歩くという状況に遭遇し
全く身動きが取れない状態になってしまったので
少し遅れてしまいましたっ。

遅れて会場に辿り着くと
静粛な雰囲気の会場で同志社の今が
プレゼンされていました。

私たち家族はあまりに小さい子を連れているので
場違いでしたが、付属の学校のこととかをいろいろ伺いました。

僕自身、中学高校と付属校に行ったこともあり
学校の説明会に少し興味がありました。

よく考えてみると、今アメリカに来ているのも
大げさに言えば同志社という学校の影響があるともいます。

国際主義をうたう同志社の付属高校の
ホームステイを経験したのが海外経験の始まり。
高校2年生のとき、カナダのバンクーバーに行かせて頂きました。

以来、海外への憧れは日に日にまして大きくなり
大学時代はヨーローパの大学に交換留学で行かせてもらい
会社に入ってからも海外駐在に手を上げました。

最近、なぜ海外にそんなに興味を持ったのかをよく考えます。

同志社セミナーでは、同志社の創立者の
新島襄の半生を描いたマンガをいただきました。

同志社の付属校では週に一回、“聖書”という時間があり
その時間の中で新島襄のことも学ぶのですが、
キリスト教徒でもない中学生や高校生で
ましてやテレビ番組やゲームの話が好きな年頃で
新島襄のことを真剣に学ぶのは難しいと思います。

でも、卒業して何年も経った今
このアメリカという土地で新島襄のことを
もう一回振り返ってみました(マンガですが)。

僕は日本が誇る留学生を挙げろといわれたら
空海と新島襄じゃないかと思います。

空海は中国の唐に行きました。

当時の中国語はおろか
インドの言葉(梵語)をマスターして
当初20年の留学予定を
2年で切り上げて帰ってきました。

もちろん語学だけではありません。
仏教の奥義を持ち帰って
高野山に金剛峰寺を開きました。

関西人になじみの深い“うどん”も
空海が中国から持ち帰った麺類(ラーメン?)に
その起源があるといわれます。

それが本当だとしたらどれだけ日本人に貢献しているか(笑)!

新島襄もその半生を追ってみると
タダ者じゃないですね。

新島襄は日本人初の大卒者だそうです。

脱国はご法度という鎖国の時代、
裸一貫で密航してボストンで大学まで出たなんて
すごいと思います。キリスト経の牧師の資格まで得ています。

黒船が江戸にやってきた時代に
アメリカで勉強しようと考えていたわけ
ですからスケールが違います。

当時日本人で英語をしゃべれた人なんて
ジョン万次郎ぐらいだと思います。

新島は留学中、
政府からの公式使節である
岩倉具視使節団に乞われて
アメリカやヨーロッパなどの海外視察に同行します。

江戸幕府の頃なら、脱国は死罪なのに
(現に吉田松陰などは死罪になっています)
留学している間に明治維新が起こって
今度は新政府がお願いして随行を依頼したといいますから
人生分からないものです。

そして日本に一番欠けているのは教育ということで
神社仏閣ばかりの京都にキリスト教式の大学を作りました。

しかも、政府とは独立した教育機関を作るために
あえて私学にしたそうです。

僕もボストンに行ってきましたが
そういえばレンガ造りの町並みはどことなく
同志社大学の雰囲気に似ていました。

新島は自分が海の彼方初めて見たアメリカである
ボストンの町並みになぞらえて
同志社を作ろうとしたのかもしれません。

そんなことをぽわんと考えてみると、
自分に果たして同じような偉業ができるかと思います。

空海の時代なんて留学に行く船が嵐で難破したり
海賊に襲われて辿り着かないような状態だったわけです。

新島襄の時代でも密航者として船員をしながら
南アフリカの喜望峰を回って1年以上かけて
ボストンに辿り着いています。

飛行機で十何時間かければニューヨークまで
行けるなんていうわけにはいかなかったわけです。

空海にしても新島襄にしても宗教は違えど
人を救うことを最終目的に異国で学び、
異文化を持ち帰り、そして日本の礎を築きました。

そう考えると、甘えちゃいけませんね。
まだまだこっちにいる間に学ばないといけないことがたくさんあります。

人を救うなんておこがましいですが、
私にも日本に帰ってやることが山のようにあるように思います。

何らかの形で日本を、そして世界を少しでも
よくできることができれば。

それが海外で何かを学ばせてもらう者の
生きる使命じゃないのかな、なんておおげさですかね。

また何かを学ばせていただいた
母校のフォーラムでした。



同志社とは何か。探し続ける駐在員にあたたかい応援をっ。



人気ブログランキングへ
アフィリエイト・SEO対策